第2章 なぜ、クラウドなのかを言葉にできるか
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理由を言葉にできないまま、進もうとしていた

会議で決まる「なんとなく」
システム障害からしばらく経っても、あのとき感じた違和感は消えなかった。
業務は元に戻り、システムも表向きは安定している。周囲から見れば、「いつも通りの日常」だ。
それでも、朝、誰もいない事務所でパソコンを立ち上げるたび、私は無意識のうちに構成図へ目を向けていた。
あの線と箱の集まりが、また同じ形で私を追い詰めるのではないかという不安が、完全には拭えずにいたのだ。
ちょうどその頃、経営会議で「クラウド」という言葉が、以前よりも頻繁に聞かれるようになっていた。
「最近は、どこもクラウドらしいな」
社長のその一言は、決断というよりも、世間話に近い響きだった。創業家出身で、ITについては「分かる人に任せるもの」と割り切っている人だ。
判断しないことを、信頼や配慮だと考えている節もある。
会議の場で、誰もその言葉を深掘りしなかった。反対意見もなければ、具体的な目的を問う声もない。
私自身も、その場では何も言えなかった。理由を聞かれれば、うまく説明できる自信がなかったからだ。

それで、何が変わるのだろうか。
後日、ベンダーを招いた説明会が開かれた。担当者は感じの良い若手で、資料も分かりやすい。クラウド移行の事例や効果が、次々と紹介される。
「今の構成を、そのままクラウドに移せます」
その言葉を聞いたとき、正直、少し安心した。大きく変えなくていい。
今までの延長線で進められる。それは、責任を最小限に抑えられる提案にも聞こえた。
だが、同時に、胸の奥に小さな引っかかりが残った。場所が変わるだけで、
あの「説明できなさ」は解消されるのか。障害が起きたとき、今度は誰が全体を把握できるのか。
説明会が終わり、資料を抱えて席に戻ったあとも、その問いは頭から離れなかった。その夜、私は久しぶりにノートを開いた。
誰かに見せるためのものではない。自分の考えを整理するためだけのノートだ。そこに、大きく一行、こう書いた。
「なぜ、クラウドなのか」
書いてみて、すぐに答えが出ないことに気づいた。コスト削減、運用効率化、BCP対策。どれも間違ってはいない。だが、どれも「自分の言葉」ではなかった。

初めて出てきた自分の理由
しばらく考えた末、私は一文を書き足した。
「止まったとき、どうにもならない構造を変えたい
それは、経営戦略として洗練された言葉ではない。ITの専門用語でもない。
だが、二年前の冬、誰も全体を説明できなかったあの夜を思い出すと、この言葉以外に、自分の中でしっくりくる理由はなかった。このとき、私は初めて気づいたのかもしれない。戦略とは、立派なスライドを作ることではない。流行の言葉を並べることでもない。
「自分たちは、何に困っているのか」
「それを変えるために、なぜ動くのか」
を、自分たちの言葉で説明できる状態にすることなのだと。
もし、この理由を言葉にできないまま進めば、クラウド導入は、また一つ「分からない仕組み」を増やすだけで終わるだろう。そう考えると、クラウドは目的ではなく、問いを突きつけてくる存在のようにも思えた。
この理由を、誰に、どこまで、どう伝えるのか。次に向き合うべき課題は、もうはっきりしていた。
コラム:「決めなかった結果、現場はどうなったか」
これらの事例が示しているのは、戦略を怠った企業が失敗したという単純な話ではない。
「決めきれなかったこと」が、後になって現場や経営に静かに跳ね返ってきた、ごく現実的な中小企業の姿である。
- 事例①
- 事例②
- 事例③
「全部移す」と言いながら、結局何も決めていなかった
従業員約100名のサービス業では、クラウド移行方針として「基幹も周辺も順次すべて移行する」と決めたものの、優先順位を定めなかった。その結果、ベンダー主導で移行対象が決まり、業務影響の大きい基幹系は後回しに。先に移した周辺システムは現場で使われず、旧環境との二重運用が長期化した。
「全部やる」という方針は、一見前向きだが、現場にとっては何も決めていないのと同じだった。
クラウド移行後も混乱が続いた理由は「目的が共有されていなかった」
現場の声を尊重しすぎて、判断できなくなったケース
卸売業(従業員約70名)では、クラウド移行に向けて各部門から要望を集めた。結果、すべてのシステムが「止められない」とされ、移行対象を絞れなかった。最終的に計画は凍結され、老朽化したオンプレミス環境の延命に多くの工数を割くことになった。
現場の声を聞くことと、判断を委ねることは別である。Planを決める責任は、誰かが引き受けなければならない。
「とりあえず重要そうなもの」から手を付けた結果
製造業(従業員約200名)では、移行初期の負荷を避けるため、「比較的簡単そうなシステム」からクラウド化を進めた。しかし、それらは業務影響が小さく、移行効果を実感できないものばかりだった。経営層からは「クラウドにした意味が分からない」という声が上がり、プロジェクトへの理解と予算が縮小された。
Plan段階で“なぜそれを選んだのか”を説明できないと、成果が出ても評価されない。
